歴史なんて在ったかな? @ 螺旋階段 / 不思議なところ

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この写真は CD 『螺旋階段 / 不思議なところ』 に添付されたブックレットに収められているものだ。
1978 年から 79 年辺り。
当時の高山謙一さんを写している。

この CD に関する先の記事
オウブの中嶋昭文さんが 「どらっぐすとうあ」 に行かれた経験を持つことを知り驚いたと記した。
このエピソードには少なからず歴史を感じる。

しかし中嶋さんにしてみればアンダーグラウンドの音楽に関する情報の少なかった当時の京都にて
「どらっぐすとうあ」 に足を運んだのはごく自然なことだったようだ。
歴史などという表現もちょっと大げさで適当ではないと思われてもいることだろう。

しかしこのエピソードの中にはっきりと歴史を私は感じてしまう。
「どらっぐすとうあ」 の時点 (あるいは地点) から今に繋がる流れが確かに在るのだから....。

Jojo 広重さんと初めて会ったのは 1978 年に行なわれた 『神経切断』 というイベントにおいてであった。
大阪のミナミにおいて林直人君が主催したイベントだった。
和製パンクが各地で台頭する最中。
確か東京ロッカーズのバンドが大阪に登場するという催しでもあり
どんな音楽を演奏するのだろうと野次馬根性に促され足を運んだものだ。

しかしその催しで大きく印象に残ったのはむしろ関西のバンドだった。
後にイヌと成る町田康さんのバンド。
そしてアーント・サリーにウルトラ・ビデ。
ウルトラ・ビデのベース奏者として登場した広重さんをこの時初めて観た。
言葉などを交わしていないので正確には 「会った」 のでは無いかも知れないが。

その次に彼を見たのは何時だっただろう?
良く覚えてはいないが何時か言葉を交わすチャンスを持ったのは確かだ。
比較的明確なのは 79 年の秋口。
米国カリフォルニア州のインプロヴァイザーであるヘンリー・カイザーが京都の「ザボ」にてライヴを行った時だ。

広重さんはカイザーに進呈するのだというテープを持っていて小さなカセット・プレイヤーでちょこっと聴かせてくれた。
そこに収められたのは広重さんと頭士奈生樹さんのノイズ・ギター・デュオ。
つまりオリジナル非常階段の演奏だった。

ノイズは当時の文化を反映する重要なキー・ワードだった。
特に音楽においてはパンク後の展開として最も注意すべき概念であった。
メルツバウの存在が東京から伝わって来たのも当時あるいは少し後のことだったように思う。

確か主にライターとして活動されていた秋田昌美さんが音楽活動も行なっているのだという形で
我々はその存在を意識した。
まだメルツバウのファースト・アルバムも出版されていなかったしカセット・テープも入手が容易くなかったと思う。
ライヴ・ハウスで繰り広げられているという彼の演奏を想像するしか無かったのだから
当時の音楽情報なんて実に限定されたものだった。
それが却って想像や妄想を強烈に促したのも確かだ。

情報飢餓の中で我々は育った。
その飢餓の凄まじさは当時に端を発した音楽活動が様々な人の中で今も続いていることに反映されると思う。
当時 28 年も後まで続くと想像しながら活動を始めた人が居ただろうか?
外部援助など期待できない余りにも個的な領域である。
テクノロジーの進歩が寄与した部分が多少はあるにせよ今まで継続している事実が信じがたい。

この歴史はまだ続いているのだろう。
周りのやじ馬だけが 「もういいだろう」 と思う。
かつて歴史の中に居たが適当な時期に転向した輩もそうだ。
でも歴史の真っ只中に居る人々は歴史に刻まれるという括りを由としない。
それは活き活きとした脈動の停止を意味するのだから。
伝説に封じ込められることをきっぱりと拒む音楽家が居ることとそれは相同だ。

中嶋さんのスタンスはとてもクールだと思う。
それもまた歴史の中に生き続けている者ならではの視座なのだ。
高山さんと広重さんと頭士さんもその様にして今も居る。

伝説を利用したビジネスは醜い。
そんな側には居たくないものだと何時も思っている。

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