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zoom RSS 阪神淡路大震災と東日本大震災からの復興を支援するチャリティ・コンサート 2015 年

<<   作成日時 : 2015/05/20 11:00   >>

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今年の 『阪神淡路大震災と東日本大震災からの復興を支援するチャリティ・コンサート』 は、5 月 3 日。
直前にインドネシアでの大地震があり、天災の脅威の凄まじさを反芻する情況での催しとなりました。
阪神淡路大震災からは今年で 20 年経ちましたが、規模がこれを凌ぐものが各地で起こっています。
それぞれの復興を促す為に、支援は様々な場所で時代を超え続いて行かねばなりません。
私共がこのコンサートを続けている時間が増すに連れ、この想いは確かなものとなって行きます。
淡々と続けている様に想われるかも知れませんが、それを実感させてくれる強靭な催しとなりました。

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今年は、最初に米国の映像作家ジェニー・ゲイザーさんの作品を 2 つ映写させて頂いています。
“Lost Motion”、そして “The Hummingbird War” という作品でした。

彼女は、記憶のパワーを織込んだ作品創りにより国際的に高い評価を受けています。
時にはブリキで出来たフィギュアあるいは切り絵の様な、本来は動かないものを主役に選んで。
これらを少しずつ動かし名からコマ撮りし、記憶の奥底から情念を惹き出す様な動画を完成させます。
その手腕は、チェコのヤン・シュワンクマイエルを引き合いに出して語られたこともありました。
ブリキ人形を用いた “Lost Motion” では、トム・レッシオンの作品をサウンド・トラックに用いています。
トムは、ロサンジェルス・フリー・ミュージック・ソサエティ (LAFMS) で 40 年超も活動して来ました。
ジェニーさんは LAFMS の CD ボックスを聴いてトムの作品を気に入り、その使用を依頼したと言います。

切り絵によるアニメーションを用いた “The Hummingbird War” では、彼女が自身で音楽を付けました。
雅楽までを用いたサウンド・コラージュであり、それは隠喩に富むアトモスフィアを見事に創生します。

“The Hummingbird War” を和訳すると、『ハチドリ戦争』。
ちょっと見には、いかにも可愛らしいイメージを湛えるタイトルではあります。
だがそこに描かれているのは、「戦争は所詮戦争でしか無い」 と言うこと。
戦えば必ず傷つくのだという当たり前の理屈を、何気無くしっかりと教えてくれます。
ショッキングな映像など一切使わずにメッセージを伝える手腕に、感服してしまいました。

そんなことが出来るのは、情念というものの成り立ちとパワーを理解しているからでしょう。
記憶と言う実にフシギな現象をそこに織込むことで、作品の味わいは一層のこと深まります。

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続いて、演奏が始まりました。
最初は、今年で 3 度目のご出演となる .es (ドットエス)。

リハーサルの時点で既に、今日は素晴らしい筈だという興奮が漂っていました。
本番においては肩の力がこれまでには無く抜けて、とても自然な感じだったと想います。
とてもインパクトの在る音楽なので、どれだけ自然に突き抜けて行くかが肝心だろうと想っていました。

演奏が進むに連れ、余分な力が抜け始めます。
そして、風が吹くように演奏の時間が過ぎて行きました。
印象の局面をあちこちに配備するのでは無く、駆け抜けた後に想いが立ち始める音楽。

瞬間で勝負するのか、記憶を使って全体で勝負するのかという問い掛けなのかも知れません。
音楽には時間の芸術としての側面があり、本来空間の芸術である絵画とは違うものとして在るでしょう。

とは言え、絵画にも時折時間芸術の範疇へ参入を果たしてしまう驚くべきものが現れます。
時間を絶対に必要とする運動の感覚を内包するゴッホの絵画などが、その好例でしょう。

空間の芸術が空間の制約からいつ解き放たれ、時間の芸術がいつ時間から解き放たれるかという挑戦。
そうした出自に対する挑戦を内包する芸術には、創造プロセスに他者を惹き込んでしまう魅力があります。

一聴すればアタックが顕著なドットエスの演奏は、本来真空の様な引力を持つ部分がありました。
それがさらに進化を遂げ、音楽の創生に新しいエレメントが参入し始める予感を持つ演奏と言って良いでしょう。

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続く石上和也さんのご演奏は、PC では無く自作のサーキットつまり電子回路網を使ったもの。
このコンサートで昨年から、石上さんはコンピューターでは無くサーキットを用い始めました。

おそらく、永年コンサートをオーガナイズされていた中嶋昭文さんへの敬意が根底に在ったのでしょう。
それがきっかけとなったのか、石上さんはコンピューターには創造出来ない音を志向し始めます。
コンピューターに比べ、わざわざサーキットを構築するのは面倒臭いこと極まりないでしょう。

だが、面倒な分だけコンピューターでは出せない音を創生することが出来る筈だと想います。
今年の演奏は、この期待が露呈する結果となりました。

想起するのは、60 年代の末から 70 年代の前半にカンが創生していた独特のトランス周波でしょう。
その周波の蠢きを鋭利に研磨し放射する感のある、脳裏に巣食う様なミニマル・ノイズ・アンビエントでした。

或いは、さながら安定と不安定の間を行き来するフリコの様だと比喩することも出来るでしょう。
サイケデリックでバイオニックなアンビエント演奏、まさにそんなフレーズが似合う演奏だったと想います。

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70 この年のコンサート、トリは頭士奈生樹さんでした。
オフィシャルには 2000 年に初めてご出演され、今年で通算 8 度目のご登場となります。

石上さんは連続して 7 度ご出演されていますが、頭士さんは最も古くから演奏して頂いて参りました。
なので山村サロンへの会場入りはもう何時ものことの筈ながら、今年は感触がとても違っていたと想います。

頭士さんが初めてリハーサルをされた 15 年前は、チョロッとギターを鳴らしてそれで完了でした。
柴山伸二さんがそれを見て 「えっ、それで終わり?」 と聞くと、ニコッと笑われて頷くばかり。

それに比べますと、今年の頭士さんのリハーサルは随分と変わっていました。
会場へ入られた時点で頭士さんは何故か興奮している様な風情で、リハーサルにもそれが反映されます。

ギターを弾いて弾いて弾きまくる、こんなリハーサルは過去にはありませんでした。
Idiot O'Clock を想起させるメロディを携えて、次々に音を紡いで行きます。

そして頭士さんが歌い始めたのは、アルバム "PARADISE" 収録の 「童話」 でした。
既に本番かという熱気で歌い続け、リハーサルが終わります。
本番での頭士さんのご演奏は、これまでには聴いたことの無いエネルギーに満ちていました。

さて、演奏が終わって頭士さんとお話ししていますと面白いことを知らされます。
彼は、年に数度しかソロ演奏を行いません。
そして、演奏の 2 週間前から準備に入るのだと言います。
充分な時間をかけて、演奏のイメージを熟成させて行くのでしょう。
それが、今年は山村サロンの 2 週間前にソロ演奏を行うという偶然に見舞われました。

難波ベアーズで行われた、穂高亜希子さんの新譜 『みずいろ』 出版記念ライヴ。
そこで、頭士さんはソロ演奏を行われていたのであります。

つまり、起点が既にピークであったという情況でしょう。
その結果、今年の山村サロンでのご演奏は凄まじいものとなりました。
頭士さんとは旧知の田中栄治さんが来ておられましたが、彼はこう述べられています。
「過去に頭士君の演奏を多々見て来たが、最高の一つと言って良いだろう」、と。
そして、私はこの日の演奏を聴いて頭士さんの音楽が目指すものが判った様な気がします。

この日の演奏は、一聴すれば好き勝手にギターを弾きまくっている様に聞こえました。
でもよくよく聴き返してみると、破綻をさえ含む様に聞こえながら音楽の全体には秩序があります。
彼は、「より高度な自由を内包する秩序とバランスを獲得する為に」 演奏しているのではないかと想いました。
『秩序だった社会』 は素晴らしいものではありますが、厳しい言論の統制があって実現される秩序があります。
他方では、誰が何を言っても許されながら秩序だった社会も在る。
後者は、勿論より高度な自由を内包する秩序社会だと言えるでしょう。
頭士さんは、音楽においてより高度な秩序とバランスを実現しようとしているのかも知れません。

自由な音楽を求める時、音楽を破壊してしまうことで自由を獲得しようとする演奏者も居るでしょう。

だが、頭士さんは決して音楽を破壊しようとはしない。
彼が破壊するのは、自分自身に在る限られた自由の概念なのだと想います。

こんなことを想わせてくれもする、素晴らしいコンサートでした。
来年も行いますので、是非お越しくださいますようお願いをいたします。

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