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zoom RSS 意味と癒着から音楽は離脱すべきだろうなぁ

<<   作成日時 : 2012/12/28 11:00   >>

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ロサンジェルス・フリー・ミュージック・ソサエティ (LAFMS) のユニットでも、スメグマのポジションは面白い。
意味から解き放たれていると言うか、意味を想起させては完璧に破砕する術を自然に身に付けているからだ。
カリフォルニア州パサディナで彼らが結成された '73 年から、オレゴン州ポートランドに移住する '75 年まで。
その間彼らに起こった音楽の劇的変遷を映像で確認するチャンスが、先日あった。

パサディナでコミューン生活を送っていた彼らは、日常から演奏を紡ぎ出すことを好んでいたのだと想う。
その時代に、演奏はおそらく彼らにとってリチュアルに近い行為だったのかも知れない。
ただ、日常との境界が殆ど無い形でそこに参入する術を身に付けてしまったのだろう。
だから、リチュアルなのに教条めいた意味がそこには皆無なのだ。

彼らは多分、あらゆる意味でキング・クリムゾンと対局の場所に居る。
クリムゾンが意識に基づく価値を操作するのに対し、スメグマは意識には現れない摂理に従うのだと想う。
'70 年代から '80 年代にかけて、スメグマは Dr. Id (マイケル・ラストラ) の指揮の下に幾つもの映像作品を制作した。
それらを改めて見直すと、インパクトはあるのだがそれが何故だか判らない部分が殆どだ。

「説明がつかないから、つまらない」 と、その時点で反故にしてしまう選択もあるだろう。
でも、それではどうにも納得が行かないから 「何故だろう」 と反芻を持続するのも選択である。

私の場合は、完全な後者のスタンスでしか音楽に相対することが出来なかった。
音楽だけでは無く他の芸術に対してもそうだったが、そうして来たことは良かったと思っている。
芸術は、意味付けが見事に為し得るから素晴らしいというものでは無い。
脳は様々な情報を処理するが、意識にのぼって来る情報は然程多くはない様だ。
ならば、我々は 「意味付け」 に頼り切らない方が良いのだろうと想う。
音楽が意味と癒着する在り様は、聴いていてどうにも我慢がならない。

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